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2016年6月10日 (金)

熊本地震ボランティア②<広島~福岡~熊本>

新幹線で、いざ広島へ。広島駅に着くと、改札出口で、
お父さんが迎えてくれた。いつも有難い。
買い物を済ませたお母さんと車で合流。帰省する度に、
料理の腕を振るってくれる。とても有難い。
この日は、自坊で一泊。
頼んでいた長靴の他に、必要になりそうだからと
タオルや軍手の束、500mlペットボトルの水や缶コーヒーの他に、
500mlペットボトルのお茶を段ボールで一箱も用意してくれた。
たくさん支えてもらってボランティアに参加させてもらえる有難さ。なんまんだぶ。
2016年5月4日、朝食を頂き、明國寺を7:30に車で出発。
戸河内インター~中国自動車道を順調に走行。
関門海峡付近で、普段は見かけないほど大きな、自衛隊トラックの隊列とすれ違う。
トラック前面に、『災害派遣』の横断幕。
現地の状況を予想して、身が引き締まるのを覚えた。
休憩で立ち寄ったサービスエリアで、疲れた時にと、
お母さんが出掛けに渡してくれたチョコレートを頂き、コーヒーを飲みつつ癒される。
九州自動車道に入ると、鞍手付近で事故、通行止めとなった。
小倉南インターから下道に切り替えた。
そうなると、買っておいた地図が大活躍。道の駅『いとだ』でお昼休憩。
道の駅内を見て回り、お母さんが持たせてくれたお弁当を、日差しの強い車内で広げる。
渡されたバッグを開けて、びっくり!
保冷剤が入っていて、500mlのペットボトルの麦茶が冷え冷えになっている。
至れり尽くせりなのと同時に、持ってこようと思って忘れていた保冷剤が、
手渡されていた事に驚いた。
五目おにぎりを、夫婦して2個ずつ頬張り、余りのおいしさに涙が出そうになった。
食べることは、生きること。命を頂く分、元気の源。有難さを噛みしめた。
道の駅を後にし、鳥栖インターから長崎自動車道を走行。
大牟田別院様に到着したのは、14:30過ぎだった。
到着早々、仙台別院様のボランティアセンターでもお世話になったセンター長様に
出迎えて頂き、先に到着していた本願寺職員の方に、部屋まで荷物を運んで頂いたりと
恐縮するばかり。
本堂の阿弥陀様にお参りし、お念珠と聖典も持参していたが、
泊めて頂けるだけで凄いことだと思った。
滞在中の寝食とボランティア活動について本願寺職員の方に、丁寧に説明をして頂いた。
その日のボランティアに参加されている方々が戻ってくるまでの間、
皆さんとすぐに打ち解け、境内のお掃除を一緒にしたり、震災当初からの
活動実績ファイルなどを見させて頂いた。
19時のミーティングでは、別院内の一室に、全員が輪になって集まり、
活動場所ごとにリーダーの方々が寺院清掃や炊き出しなどの活動報告をされ、
皆、聞き漏らすまいと耳を傾けた。
明日の活動の班分けが発表され、新しく到着した私たちの自己紹介と、
明日のミーティングに出られない方々の挨拶の後、大牟田別院参勤様と
センター長様の挨拶があった。
ミーティングの後、明日活動するボランティアの班ごとに集まって、乗っていく車や、
積み込む道具と各自の食糧の確認、ボランティア先の状況の引き継ぎなどを行った。
私たちの班は、益北組の光輪寺様のお手伝いをすることになり、本堂に集まった。
光輪寺様は、本堂が全壊していること。保育園が隣接していて、10日から開園するとのこと。
常例法座も休まず行うとのこと。
ご門徒様が率先して、お寺を盛り上げていこうという気合が感じられ、
ボランティアに積極的に指示を下さるとのこと。
倒壊した本堂の、瓦や木材を土嚢に詰めて運び出す作業が主となるため、
マスクと皮手袋が必要不可欠。釘がむき出しになった木材が多く、
長靴に踏み抜き防止ソールを入れて行くこと。
炎天下の作業となる予想のため、十分な水分と休憩は、皆で声を掛けながら、
きちんと取ること。
汗ふきシートなどがあれば、持って行った方が良い等、
リーダー同士の情報交換も活発で、情の深さが感じられた一時間だった。
お風呂は、大牟田別院様から3.1km程の場所にある、大牟田温泉『満月の湯』。
福岡まで来て温泉に入れるなんて有難い。
一緒の班の仲間を誘って、お夕飯もここで頂いた。本場のとんこつラーメンが、
とてもおいしかった上、話は尽きない。
話しているうちに、その方が師事した方が、私たち夫婦の得度習礼時の先生だったと知った。影響力が全国区だ。
翌日2016年5月5日、6:30起床。朝食のため、部屋から出ると、20代30代で
早起きの方が多くて、さすが9割お寺関係者だ!と思った。
出発時間までに、身支度と移動する車に道具を積み込み、班ごとに随時出発。
仲間に運転して頂き、有難い。
被災した地域は、高速の橋脚が落盤し、片側通行の場所もある。土手が崩れ、見渡す限り、
家屋が全壊・半壊で、至る所でブルーシートが目に飛び込んできた。
それでも、他県からのごみ収集車の応援、大型トラックやショベルカーの持ち込み、
食糧や物資の差し入れ、大勢の方が力を合わせて助け合い、互いに労わり合い、
優しさと活気にあふれている。
光輪寺様に到着後、活気に満ち溢れたご住職に、皆でご挨拶。
すでにご住職の繋がりで、曹洞宗の僧侶の方々や、ご門徒の方々が大勢、
本堂の解体作業をされていた。
圧巻なのは、林業の本職の方が、チェーンソーやショベルカー、大きなクワガタのような
腕の付いた重機を駆使して、大きな梁を移動させたり切断したりしている。
私たちは、瓦や木材を土嚢に詰めて運んだ。
注意したのは、分割した木材の中に、一文字のかけらでも、
ご門徒様の名前が書かれたものを見つけたら、区別して一か所に保管すること。
ご門徒をとても大切にされている姿に、胸が熱くなった。
お寺は、歴代のご門徒様が大切に思って建てられ、皆の集まる場所となっている。
思えば、自坊でも、歴代のご門徒様の名前が入ったものを見ては、
相当な篤信者の方だろうと考え深いものがある。
木彫りの装飾に、ガラスの目が入っていたりすると、
どんな方がどのように造ったのか技の凄さにも脱帽する。
都内の巨大地下ダム建設現場では、『地図に残る仕事!』と、横断幕が貼ってあった。
お寺もしかり。仏の教えを伝えつつ、次世代に受け継がれてゆく寺。
建てたり壊れたりもするが、安心して皆の集まれる場所を残して行きたい。

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