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2016年6月12日 (日)

熊本地震ボランティア③<熊本~福岡~熊本~福岡~広島>

お寺のことが心配で遠路はるばるやってきたというご門徒様も、
多数いらっしゃった。
ご夫婦でいらっしゃったご門徒様が、崩れた本堂の脇に見える
大木を指さして「あの木は切っちゃならん。天然記念物なんじゃよ~。」と
教えてくださった。
お孫さんを連れてこられていたご門徒様は、車に荷物を運び込む
お手伝いをさせて頂いた後、見送った際に、
見えなくなるまで、車窓から大きく手を振っていらっしゃった姿が印象的で、
光輪寺様との普段からの深い繋がりが感じられた。
ボランティアの途中で、有難くもシュークリームやアイス、
スイカなどを、ご馳走になった。
お昼休みは、初めて見る黒い鶏のお家の脇で。
曹洞宗の別のボランティアの方々も合流し、「曹洞宗の僧侶です。」と
ご挨拶して下さったので、「私たちは、浄土真宗の僧侶です。
共に仏教を学ぶ仲間として心強いです。有難うございます。
東北の方でも、僧侶の方々がバスに乗り合わせて、追悼法要に
巡られているのをテレビで知りました。」と挨拶したところ、
追悼に巡られている方々の先輩方とのことで、さすがお寺の繋がりは広い。
光輪寺様のご住職は、腰を痛めつつも精力的に作業され、
後から知ることとなったが、本堂が倒壊していても近所のお寺さんに
声を掛けて回るなど、思いやりと地域の助け合い精神の凄さに、
頭が下がった。
15時過ぎに、活動を切り上げ、ご住職とご門徒様方々、
他のボランティアの方々にご挨拶して帰路へ。
一時間弱の道のりを、支援センターまで走行。
再び、仲間に運転して頂き、有難い。
夕方のミーティングでは、活動中、震度3程の余震が、あったとの報告に、
驚いた。いつあったか全然分からなかった。
当日は、5回の余震があったようだ。また新たなボランティア仲間の
参加もあり、今日が最後の仲間もいる。
そして、明日の活動先は、夫婦共に、宇土北組の光明寺様に決まった。
光明寺様は、支援センターから2時間弱かかるとのこと。
作業内容は、本堂と庫裏の清掃を予定。
事前確認してくださっていたスタッフの方に、光明寺様の被害状況の写真を
見せて頂くと、壁が崩れて床に散らばっている。
新たな班分けのメンバーで集まり、持っていく道具を話し合った。
明日の天気を確認すると、雨天とのこと。雨具は人数分用意した。
それから、雑巾、ゴム手袋、皮手袋、防塵マスク、業務用掃除機、
ほうきと塵取り、簡易スリッパ。
出発は、遅れのないよう早めの朝7:30に決めた。
お風呂は、前日と同じ、大牟田温泉『満月の湯』。何台かの車に分かれて、
向かった。
この日は、一日作業をしていたため、西本願寺と背中に大きく字の入った
ユニフォームを着たまま行ったため、夫婦で入湯券を買おうとしていたら、
フロントのお姉さんが話しかけてきた。
そして割引してもらうなど、とても親切に対応して頂き、
「いつもお世話になっております。お陰様でございます。」とお礼を言って
一日の疲れを癒させて頂いた。
支援センターへ戻ると、全国から届いた差し入れで、夕飯に皆で、
すき焼きとサラダの盛り合わせをご馳走になった。
自坊から託されていたペットボトルのお茶も、日中のボランティア活動への
皆の水分補給の他に、すき焼きを囲んだ食卓でも大いに活躍し、
皆さんから「自坊へ宜しくお伝えください。」と感謝の言葉を頂いた。
大鍋のすき焼き二つを20人程で囲み、不思議といつも以上に食が進んで、
皆で取る食事は、格別だ。
初対面の方々とも親睦が深まり、この日は、部屋に戻っても、
話が尽きなかったほどだ。とても有難い。
2016年5月6日、6:00起床。朝食は、差し入れのウインナーソーセージ入りの
パンも頂いた。なんまんだぶ。
班のメンバーと共に、7:30出発。再び、仲間に運転して頂き、有難い。
九州自動車道では、一か所、朝から事故渋滞が始まったばかりだった。
私たちは、支援センターから出発した本日の第一陣だったため、
他のボランティアメンバーに、渋滞情報を知らせて
出発時間や、走行ルートの見直しができるよう、支援センター長へ連絡をした。
現地の通行止め情報や、抜け道なども水平展開し、情報を共有することで
活動に生かしている。
光明寺様に到着すると、ご住職と坊守様が出迎えてくださった。
本堂は、阿弥陀様は避難されていたが、基礎部分が欠けていたり、
漆喰が落ちて畳の上に散乱、窓ガラスが割れ、建具が外れ、土香炉が落ちて
割れたらしく破片と中のアクがお内陣に飛び散っていた。
聞けば、余震が続いていて怖くて、本堂に入れなかったとのこと。
お仏花も震災からそのままの時間を物語っていた。
まず、支えが半分外れて今にも落下してしまいそうなほど傾いていた
蓮如上人のお厨子を、修繕できるよう解体することとなり、
ご住職から電動ドライバーの道具を貸して頂いた。
さすが、本願寺職員の方は、手際よく、お厨子を大まかに分割し、下していく。
坊守様に、沢山の雑巾とバケツを貸して頂いた。
一度、外したり散乱した仏具を、外陣に移動した。
内陣を奥から順に、作業する。拭き掃除は、水拭きを繰り返し、
きれいになったら乾拭きで仕上げをする。両脇のお厨子の床は拭き掃除し、
床と畳は掃除機掛けを行った後、拭き掃除した。
欠けたガラスや土香炉の破片を拾うのに皮手袋が活躍した。
途中、香炉から出たアクの量が多く、掃除機のフィルターが目詰まりを起こした。
フィルターに付いたアクをゴミ袋に回収し、吸引力復活。左右の余間を、
掃除機と拭き掃除した後、きれいに拭いた仏具を、余間に並べた。
次に、外陣を奥から同じように掃除機と拭き掃除。並べきらなかった仏具も、
きれいにした外陣の奥から並べた。
私が花瓶を水場で洗っていると、余震があった。本堂内にいたメンバーは、
声を掛け合って注意を促していた。
坊守様が、教えてくださった。震災当初、大きい余震が相次いでいて、
2週間ほど、余震があるたび、胸のところがキュッと締め付けられるようだったけれど、
今度は時間が経って、余震に慣れてきてしまっているとのこと。
他にも、ご高齢のご門徒様のために、椅子席にしたことや、
法要時のお斎のテーブル運びを担っているなど逞しさも垣間見えた。
また、震災当初は、余りのことに、どうしていいか分からず、途方にくれていたけど、
近所のお寺さんから、本願寺さんでボランティア活動しているから
連絡してみるといいよと、教えて頂いたのが頼むきっかけだったとのこと。
「ボランティアの皆さんが、どんどん本堂をお掃除していく姿を見て、
私もやらなきゃという気持ちになりました。」とおっしゃられ、庫裏をお掃除されていた。
私たちの活動で、少しでも、元気が出るきっかけのお手伝いをさせて頂けるのは、有難い。
それに、いち早くお手伝いに来て下さった妹さんに対し
「妹自身のお家も大変な時なのに、来てくれている。」と気遣っておられる姿に
心が温まった。
休憩時間には、テーブルや椅子と共に、ジュースやお菓子を出して頂き、恐縮しきり。
お昼休みには、皆が休んでいるところに、光明寺様で飼われている猫が、
ひょっこりやってきた。
3匹近寄ってきたが、どれも人懐っこく好奇心旺盛だ。
実は参加したメンバーの中に、うちの弟に似た雰囲気の、
寡黙でクールな印象のメンバーが一人居た。
そのうち猫が腹を見せて彼にだけゴロゴロまとわりつき始めた。
その猫に応えて、優しくあやしている彼を見て、
『すっげー根のいいやつなんだー!』と思ったりした。
猫で気が付かされる有難さ。なんまんだぶつ。
午後は、本堂を囲む廊下の掃き掃除と拭き掃除。後門の片づけを行い、
作業終了となった。
ご住職と坊守様に、活動させて頂いたお礼とご挨拶を終え、見送られながら、
帰路に発った。
帰りは、九州自動車道の一か所で、橋が落ち、片側通行になっているため、
一台ずつ強制で一時停止しなければならない区間があり、大渋滞していた。
運転して下さった仲間に、感謝するばかり。
夕方のミーティングでは、主人が本日の活動報告を行い、
夫婦して最後の挨拶をさせて頂いた。
大牟田別院参勤様とセンター長様に見送られながら、帰路に発った。
出発時に自坊へ電話報告。庫裏を開けておいてくださるとのこと。
出発時刻は20:00時を回っていた。夜の高速走行、眠気をこらえつつ
夜中0:03に自坊に到着。
すると、庫裏のテーブルに、ポットとお茶のセット。
お皿に、おむすびと、から揚げ、カボチャサラダが盛られていて、
脇にそっと置かれたメモ。
『お疲れさま。「おむすび」を作っておきました。
お腹がすいていたら、お茶を入れて食べて下さい。』
驚いたのは、それだけではない。お風呂も沸いていた。
どれだけ多くの命と、皆さまのお蔭により生かされているのか計り知れない。
始めから最後まで、この経験は、お金で買えない価値がある。
なもあみだぶつ

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