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2019年9月20日 (金)

第16回 世界仏教婦人会大会 8/31アメリカ大会1日目-基調講演

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10:00~12:00まで基調講演がありました。
(仏教研究家の都路恵子さんと米国仏教団 ストックトン仏教会
駐在開教使 本好由紀子さん)
 
都路恵子さんの基調講演では、浄土真宗はお聴聞にあり
との教えから、教行信証を音読して聞いてみた
お話をして下さいました。
繰り返し聞くうちに、教行信証は、親鸞聖人の頂きの
感動だったと気づいたそうです。
そして、人生の一本道である二河白道(にがびゃくどう)
について説かれました。
また、北海道のお寺の坊守さんだった
鈴木章子さんの詩をご紹介下さいました。
「念仏は 私に ただ今の身を 納得して
 いただいてゆく力を 与えてくださる」
 
本好由紀子さんの基調講演で印象に残ったのは、
小さい頃、『おばあちゃんに、お寺の廊下を拭くのを
義務づけられた』こと。
自分の事は、自分が一番分かっていると思っても
4つの自分に分けると
① 自分も他人も知っている自分(解放)
② 自分は気付いていないが他人は知っている自分(盲点)
③ 他人は知らないが自分は知っている自分(秘密)
④ 自分も他人も知らない自分(未知)
があり、自分を知ることについて説かれました。
また、アルツハイマー病の母を看病した娘さんの話では、
「私の母を、私の世界に引っ張り込んではいけない。」
と、お伝えくださいました。

都路恵子さんの教行信証の音読には驚かされました。
私も、14年前に、音読して聞いていたものがあります。
中央仏教学院の通信教育の教科書です。
お聴聞というより、2時間以上の通勤時間がもったいない
一心でしたが、繰り返し聞くことで何かが分かる気がしました。
幸い、持っていた携帯電話に録音機能が備わっていたので
音読を始めましたが、すぐに壁にぶち当たりました。
人名や、仏教用語が難しくて、読み方が分からないものが
あるんです。お手軽なインターネットには、まず載っていない。
そもそも漢字が変換できないものが多い(笑)
広辞苑や、ブリタニカ百科事典、国語や古語辞典、
本願寺家系図なども参照して分からないものは、
最終的には、本校の先生に質問状を送りました。
回答が届いた時の、モヤっとすっきり感の爽快な事!
音読しようとすると、ちょこちょこ知らない単語につまづいたりします。
例えば、『形而上学(けいじじょうがく)』が分からなくて、
広辞苑で調べると『形而上学は、自然学の後に置かれた書だ』
とあって、何のこっちゃ?と思うのです。しばらくして
東京の森ビル美術館に行った際、たまたま形而上学の作品展が
開催されていて、ふらっと立ち寄って見ている内に
自然からインスピレーションを得て、自然の美しさを基に
形作られた物だと、気が付かされたりして、やっと腑に落ちたりします。
調べ終わって、音読してみると、言い回しで何度も
つっかえたりして、進まない箇所が出てきたりします。
ちゃんと録音できたか確認してみると、知らない人の声が聞こえます。
録音したデータは、携帯からパソコンにデータを吸い上げ、まとめて
CD-RWに焼き、車で繰り返し聞いていました。
お経が、私達に向けられている、現在のお釈迦様の説法であるように
教科書は、先生方の生の講義であると感じます。

◇二河白道について◇
私達は、命を授かった瞬間から、死亡率100%で人生の一本道を歩みだしています。
立ち止まろうが、戻ろうが、くねくね曲がろうが、広い宇宙から眺めたら
真っ直ぐな細い道です。
ラジオから「迷うことは、道を知ること」と流れてきました。
中道を知るために、迷いの苦界であるこの世界に生を受けたのですね。
東の盗賊や恐ろしい獣が、後方から迫ってきます。
お釈迦様の「この道をそのまま行け~」と、お勧め下さる声が聞こえます。
覚悟を決めて西のお浄土に向かって歩く白い道は、南に荒れ狂う火の河と、
北からの底なしの波浪渦巻く水の河に挟まれ、火と水が
交互に襲い掛かり止みません。
止まないのは、火と水が自分から湧き出る煩悩だからです。
白い道を、どんどん狭めていくのは、自分自身なんです。
お釈迦様の教えに出遇ったならば、西の彼岸から、阿弥陀様の
「そのまま、来なさい。大丈夫。」という法の声が聞こえます。
後ろから「危ないから戻りなさい。」と親しげに近づく
盗賊や恐ろしい獣は、嫌なことは避けたい、面倒くさいことから
逃げたいなどの自らの怠惰な心。
堕落しやすい人生にあって、強く明るくしっかり前を向いて
歩んでいけるのは、お釈迦様の教えと阿弥陀様の法に照らされ
み教えを聞きながら、お陰様に気が付かせて頂けるから。
たとえ道が、めちゃくちゃ幅が広かったとしても、私の身体を
支えてくれる足の裏の幅は、せいぜい12cmそこそこ。
私を支えてくれる大いなる足の裏さえ置けるなら、白い細道の
なんと頼もしいことか!

本好由紀子さんの基調講演では、お寺の廊下を拭く話が出たとき、
すぐに掃除で悟りを開いたお釈迦様のお弟子さん
周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)を連想しました。
本好由紀子さんのおばあちゃんは、素晴らしい人だと
思いました。
以前、掃除会社の方が、「掃除を突き詰めていくと
どこに、どんな風に、どういった汚れが付くのか
予想できるようになります。」とおっしゃっていました。
掃除により、あるべき姿に気づかされ、
真実を知ることでお悟りを開かれるのかもしれません。
 
それから、自分を知ることについて説かれた中でも
④ 自分も他人も知らない自分(未知)について、
近年、片りんを見ました。
去年、主人が人間ドックの胃カメラで腫瘍が見つかり、
レントゲンであんこが詰まった温泉饅頭のようなものが写り、
膵臓癌の疑いで検査入院しました。
全身麻酔を受けましたが、麻酔が効かず、
看護師さん3名が必死に押さえる中、手術中に1時間半大暴れしてました。
3回再検査しましたが、結局、腫瘍は見つかりませんでした。
主人にとっては、『あ!冷たいっ』と思った次の瞬間、
「もう終わりましたよ。」と先生に肩を叩かれた位の一瞬だったそうです。
耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識。
麻酔が主人の末那識に作用せず身識だけが無意識下で反応したか、
はたまた外部からの刺激で阿頼耶識が反応したのか、
まだまだ分からないことだらけです。
つづく。

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