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2014年9月13日 (土)

自坊の報恩講(2011年12月3~5日)での挨拶

Hoonko

2011年の3月に得度をいたしました。3月は寒かったです。習礼中の京都でも雪が舞って、本堂の  お晨朝は身の引き締まる感じでした。そんな中、東日本大震災と福島原発の事故がありました。  得度式を済ませ退所する時には、「僧侶として何ができるか良く考えて行動してください。」と  言われたのを覚えています。   現在は、群馬県でサラリーマンをしつつ、中央仏教学院通信教育生の学びの会という集まりが  東京の築地別院の施設を借りて行われており、そこで学ばせて頂いておりますが、そこで知り合  った仲間達と、5月、7月、10月、福島と仙台の被災地に、ボランティア活動に行かさせて頂きま  した。作業としては、津波で押し寄せた泥とヘドロの除去、床、壁、サッシ磨き、トイレの復旧  等です。5月、7月は多くの方々がボランティア活動に参加されていました。 ですが10月の時、  参加者は、かなり減っており世間の震災復旧・復興の熱が冷め始めている感じがしました。  ボランティア活動者も、一度行ったから。義援金も納めたから。とか、二度、三度と継続して  活動される方が、少ないのかもしれません。   しかし、自らの全てをなげうって、復旧や復興のために人生を捧げる。といった事のできる人  は、まず居ないでしょう。財力、労力、時間が無限に有るわけではありません。かといって、何  もしない。したくない。という人が全てではない事も事実です。  少しでも、できる範囲の事を皆で行うことが、大きな成果を生み出すことに繋がると思います。  どんな些細な事でも構いません、できる事を継続して行う。この継続がどうしても難しい、疲れ  た場合には、1人で抱え込まず募金してどうだったか、ボランティアに参加してどうだったか。  家族や知り合いに話してみてはどうでしょうか。 きっと、そこから次の支援や活動へと繋がる  キッカケになると思います。   親鸞聖人がみ教えをお伝えになられている時代、皆さんもご存知のように、穏やかな時代では  なく、時の政府や他宗から弾圧を受けた時期もありました。しかし、尊いみ教えを頂いた門信徒  の方々は、その教えが体を通して行動として現れたからこそ広まり、御往生されて750年が経  とうとしている現在でも暖かく受け継がれているのだと思います。  ボランティア活動に被災地に伺ったとき、日本各地から門信徒の方々がお手伝いに参加されてい  て、お話をさせて頂く機会がありました。福島、仙台と所かわっても、親鸞聖人のみ教えが今も  大切に相続されていることを感じました。   現在、私達は群馬で生活しているため、普段、皆様とはなかなか触れ合うことができません。  今の時点では期日の指定はできませんが、明国寺に戻ってまいります。  よろしくお願いいたします。(釈東海)


  夫婦共々、今年3月に京都の西山別院というお寺で、11日間73名泊まり込みで、得度習礼を受  けさせて頂きました。 得度習礼に参加する前は、経験者の先輩方から、それはそれは厳しい作法  と教義の試練が待っていると聞いていたので、どんな恐ろしい所なのかと思っていました。   行ってみたら違うんです。こんなに優しい先生方や仲間に囲まれた生活は、今まで経験したこ  とが無いと驚かされました。得度習礼最終日に近づく頃には、「缶ジュース一本が有り難い。」  と皆で言っていました。   得度を終えると、今度は友人から震災ボランティアに誘われました。ボランティアに向かった  先は、300軒以上が津波で全壊流出している地域です。そこで出会った仙台市のお寺の住職が、  おっしゃっていて印象的だった言葉は、「生かされているだけで有り難い。」でした。友人がボ  ランティアに誘ってくれたおかげで有り難い方々との出会いがありました。誘ったり誘われたり  することの大切さも気付かせて頂きました。今日の報恩講のご案内にも、「皆様お誘い合わせの  上、お越し下さい。」とありました。   本日は、ようこそ皆様お越しくださいました。尊いご縁を有り難うございます。まだまだ皆様  に教えて頂くことも盛り沢山ですが、これからも、どうぞよろしくお願い致します。(釈律浄)

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