目に見えない価値
しんぽちが、夜、テレビを観ていて突然口を開いた「火事だ!」と。
半信半疑でテレビの電源を切ると、本当だ。消防署のサイレンが響き渡っている。
外に飛び出し、360度、辺りを見回すも火の手は見えなかった。
大事に至らなければ、それでいい。
自坊の地域では、暗黙の了解がある。
地域で火事があった際は、寺の梵鐘を間髪おかずにガンガン打っていい。
それが火事の合図だ。
『村八分(むらはちぶ)』という言葉がある。
ここに見えない救いがある。
周りの皆から例え仲間外れにされたとしても、八分以外に残された
救いが二分(にぶ)ある。火事と葬式だ。どんなことがあっても、
火事と葬式だけは、地域で助け合うゆえんだ。
私の人生で、衝撃が走った出来事の一つに源信和尚の伝記がある。
築地本願寺で学ばせて頂いた朋友たちと、ご輪番をされていた恩師のお寺に
参拝させて頂いた際、手渡された書物『仰法幢(ごうほうどう)』にそれは書かれていた。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、念仏往生の教えを親鸞聖人まで受け伝えた
方々として、七人の高僧を尊崇されておられる。
その中に、源信和尚(げんしんかしょう)がおられます。
幼少時代のお話を紹介します。
当麻地方には、二つの川が流れている。南の川は濁り、西の川は澄んでいる。
毎日のように、源信少年は、子供仲間と、そこで遊んでいたが、ある日
たまたま一人の山僧(山とは、比叡山のこと、山僧とは、厳密には
回峰行を完成した僧のことをいう)に出会った。
鉢を持ってきて、洗おうとするので、源信少年が、
「その水は穢い(きたない)ですよ、きれいな水で洗ったらどうですか」
というと、僧は戯れ(たわむれ)に、
「あらゆるものは、もともと浄・不浄などということはないのだから、
どうして水の清濁を言うのだね」と答えた。すると源信少年は、
「すでに浄不浄が無いのなら、どうして鉢を洗ったりするのですか」
と言い終わって、また、しゃがんで小石を数え始めた。
僧は愕然(がくぜん)として、今度は数に関連して少年に質問した。曰く
「一から九まで、みな”ツ”の音がある、ただ十だけは”ツ”の音を言わないのは、
どうしてだろう」
源信少年は、即座に、
「五つの数字には”ツ”が二つあります」
と答えたので、僧はますます感心し、両親や住居のことを尋ねた。
源信少年が出家するきっかけとなったお話です。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十
ヒトツ、フタツ、ミッツ、ヨッツ、イツツ、ナナツ、ヤッツ、ココノツ、トウ
十は、五つにツを、おすそ分けしたのだろうか。そう思いを巡らすと
心温まるのはなぜだろうか。ご恩や、思いやり、お互い様の精神。
文字には書かれていないところから、読み取るのだ。
見えないものには、往々にしてお金で買えない価値がある。
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